なんで勉強するの?
れでぃーすえんじぇんとるめぇぇえん。
スカイホークです。
突然ですが、只今、絶賛テスト期間。
友達からこんなLINEが突然来ました。
いや難しすぎる。
たしかにこの友達はこういう系の疑問を常に持っている人なんですが、今回は特に難しい。
しかし、僕自身も常識に疑問を抱くのが趣味の気持ちの悪い人間なので、聞いたことのある話とかから自分なりに考えてみました。
文才ないですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
では早速、テスト諸々の話から。
小学→中学→高校→大学って上がっていくにつれてテストって落ちても救ってもらえない状況になっていきますよね。要するに自己責任。特に大学は出席も自己責任要素が強くなります。だからこそ自分の望んでいない勉強になっていくと、結構考えさせられます。
『え、好きな勉強したくて大学入ってるんじゃないの?じゃあ講義ちゃんと出ようよ』
そりゃそうです。「なんとなく」でも生きてる中で興味のある分野を見つけて、大学でしっかり学んで、のめり込んで、就職、あとは云々。
これが高校までのうちに大体の人が考える人生計画です。もちろんこの通り行けば難なく生活できると大学生の僕でも思います。
でもここで問題になってくるのが「なんとなく」っていうワード。これ、ほんとに危ないと思います。実際にさっきの友達も僕もその危険に晒されています。
人それぞれ飽きっぽいとか性格的な話は置いといて、なんとなく興味のある分野って悪くいえば『変わりやすい』、よく言えば『広げやすい』なんですよね。例を挙げるとすれば
「医療系の職業につきたい」
↓
「医者、看護師、PT、OT等々たくさんあるけどどうしよう、これ学びたいけどこっちも。と思ったら元々筋トレとか好きだしそっちの方が学びたいかも……」
一部の人はこうなっていくわけです。必ずではないですが。逆に、例えばちゃんと「PTになりたい」って決めていた人だって、途中で医療の装具に関して興味を持ってそっちの道へ進むかもしれない。
要するに、大学っていろんなことを学べるので興味が傾きやすい環境にあるってことなんです。なんとなくで入った人は特にそうなりやすい。当たり前です。
ここで、最初の友達からの質問に戻りましょう。
『勉強する意味を哲学的な意味で教えてくれ』
ってことですよね。哲学的って難しい。大学でも1回しか学んでない。先程も言いましたが、この友達、興味が大学の分野と少しズレています。だからこそのこの質問。僕もほぼ同じ境遇なのでよくわかります。
結論から言ってしまえば、
『勉強なんてさせられてやるものなんだからそこから学習すべき内容を見つけろ』
これです。偉そうに何言ってんだって思うかも。僕も今自分で思いました。偉そうがどうとか言うのを書く場所ではないので、話を進めます。
これつまりは、「勉強」と「学習」は違うよってことです。
特に大学であれば、みんな単位をとるために勉強する。ほら、「単位を取るために」になってる。これが「勉強」です。
僕の考えでは「勉強はやらされるもの」
じゃあ、学習は?単純です。
その反対。「進んでやるもの」
理論的な話が嫌いな人のために例を挙げます(理論が嫌いな人はそもそも読んでないと思いますがw)。
電車で大きい声で話している集団、いますよね。あれを自分で気づくか他人に注意されるかの違いです。
他人に『決まりだからやめろ、迷惑になるからやめろ』って注意されると、確かにやめるかもしれない。しかし、確実に響いていないです。
逆に自分で気づいたとしたら、他人に注意されるよりは次から気をつけると思います。
少しわかりにくい例えだったかもしれませんが、何においても「自分で気づくこと」はすごく大切なんです。よく大人が「なぜ?なに?どうして?」を考えろってのはこういうこと。
勉強でもそう。ただやらされているだけじゃ絶対身につかない。やらされなければならない状況、つまり単位を取らなきゃ行けない状況でも何か自分の興味に繋がるものを見つければそれは『学習』に変わる。もちろん興味と勉強が繋がるならそれはそのまま『学習』です。
なんで勉強するのかという質問に対する答えにはなってなさそうですが、これが僕の考えです。
僕自身も別の友達からこの話を聞かされて気づいたんですが。
もちろんベストはしっかりした興味と大学選びです。しかしそれはズレてくることも少なくないので。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
しっかし文才ないなほんとに。拙い文章で読みにくかったかもしれません。ごめんなさい。
またなんか書きたいことあったら書きます。
では。